琴引浜中心部にある、細川幽斎の歌碑です。

細川幽斎が詠んだとされる琴引浜の歌。
その歌の歌碑が琴引浜キャンプ場近くにひっそりと立っています。
細川幽斎って誰??
歴史好きの人はよく知ってる有名人物ですが、
一般の人はモチロン、地元の人たちでもなかなか詳しくは知らないのでしょうか??
細川幽斎とは戦国時代に丹後の国を治めた有名な歌人であり大名です。
元の名前は細川藤孝。細川ガラシャの夫である、細川忠興の父親です。
藤孝ははじめ室町幕府13代将軍、足利義輝に仕えていましたが
義輝が松永久秀らに暗殺されると明智光秀を通じて織田信長を頼り
15代将軍、足利義昭を即位させています。
以後は織田信長に仕えて丹後宮津の国11万石を治め、息子である細川忠興は
信長の勧めで明智光秀の娘である明智玉子(ガラシャ)を娶ります。
本能寺の変が起こると光秀より再三の救援要請が届きますが筒井順慶と共にこれを拒否。
以後は家督を忠興に譲り、剃髪して幽斎玄氏と名乗るようになります。
これ以降、細川藤孝は細川幽斎と呼ばれるようになります。
以後は文化人として千利休と共に秀吉に仕え、家康とも親交を深めていきます。
秀吉の死後、忠興は関ヶ原の合戦で東軍に属し、前線で石田光成軍と戦う活躍を見せ、
戦後39万9000石の大大名となります。
その後幽斎は京都吉田で悠々自適な晩年を送ったといわれています。
…この歌碑は親戚であり親友であった光秀を見殺しにした後のものでしょうか?
裏切り裏切られの戦国時代。常に大勢を見極め、強い者に仕えて
政治、戦、そして文化に優れていたとされる幽斎。
その彼が琴引浜の景色をみて詠んだであろう歌の歌碑。
若干わかりにくいトコにありますが、興味のある方は是非!探してみて下さい。



琴引浜があるここ掛津区の玄関口には、地元有志の方が管理して下さっている「花のプロムナード」があります!







